中世ヨーロッパのマイブームが続いています。
私は英語の本を読むのが苦手なので、この歴史の勉強はもっぱらオーディオブックで、欧米の大学の先生の講義を聴いています。面白い話がたくさんあるのですが、本日はその一つをば。
ヨーロッパ中世の歴史は、日本の高校世界史でもあまり詳しくやった覚えがありませんが、その一つの原因として、「そもそも資料が少なくてよくわからない」ということがあります。
ローマ時代は、戦争やった張本人ががっつり書き残した「ガリア戦記」など、文献がたくさんあるのですが、中世ヨーロッパにはこの種の一次文献があまりありません。当時は書き言葉はラテン語しかなく、そのラテン語と地元の俗語が混じってできた話し言葉のフランス語やスペイン語などは書けませんでした。そして、その書き言葉であるラテン語が読み書きできたのは、聖職者だけでした。つまり、聖職者以外はみんな「文盲」だったので、そもそも文献というもの自体がほとんどないのです。
さて、前回の「奴隷貿易」の話でも書いたように、中世ヨーロッパというのはたいへんに暴力的な世界でした。ローマ帝国という「組織」の仕組みが崩れ、その後を支配したゲルマン民族には「組織」として国家を運営するノウハウがなく、個人が力で獲得した領土は個人の資産として息子たちに分割継承させるしきたりであったため、分裂と内乱が続きました。
組織としての国家が機能していない状態で、もともとは戦士であった領主が力で領土を支配しているのですから、法律も裁判も警察もへったくれもありません。領主達は、要するに戦いで強い騎士であったので、血の気が多く、自分の利益のために、お隣に攻め込むのはもちろん、気が向けば家来や領民を収奪したり殺したり家を焼いたりしていました。臣下の騎士たちもそれぞれに拝領地をもつ領主でしたので、上から下まで「貴族の暴力」が蔓延していました。
自前の武力を持たない聖職者たちも、その被害を受ける側であったので、困り果てて、「日曜日は家を焼かない」「武力をもたない女性や子供を殺さない」などのような「神さまの行動指針」を作り、これに従わなければ地獄に落ちるぞ、と領主=騎士たちを脅してなんとか制御しようとしましたが、まったく効果がありません。一つには、なにせ聖職者ですから、このルールをラテン語でお役所的な堅い文語で書いたため、文盲の騎士たちには全く理解されないというか、そもそも誰も読まない、ということがありました。
そこで一計を案じ、このルールを「ヒーロー物語」仕立にすることにしました。「勇敢でかっこいい騎士が、ドラゴンをやっつけて、美しいお姫様を守り、恋に落ちる」などの血湧き肉躍る物語を、ラテン語でなく俗語で作り、これを口述によるパフォーマンスで広めることにしたのです。「農民の家を焼いてはいけない」という退屈な禁止令は誰も読まないけれど、「かっこいい騎士は農民を助け、そうすると美しいお姫様を恋人にでき、みんなに尊敬される」という講談なら、騎士は熱狂して聴くわけです。これが大成功して、騎士物語は大流行に至り、この流れで「騎士道」の行動倫理が形成されました。
初期の騎士物語の代表作、「ランスロット」などを作ったクレチアン・ド・トロワは、宮廷づき聖職者でした。ここで使われた俗語はおもにフランス語やスペイン語などの「ロマンス語」であったため、こうした「恋物語」を「ロマンス」とよぶようになりました。
宗教的倫理をベースにした口述物語という意味では「平家物語」にも似ていますが、字を読めない人にヒーロー物語のパフォーマンスで行儀作法を教えこむという意味では、むしろ幼児向け教材の「しまじろう」みたいなものだなぁ、と思わず笑ってしまいました。
そして、英語読むのが苦手な私が、これをオーディオで聴いているというのもまた、文盲の騎士たちみたいなもんかなぁ(^^;)とも思ったりしています。
参考資料: The Great Courses